ついに”パソ通”NIFTYが終了
ついに今日サービス終了だそうだ。
初めて買ったAIWAの2400MNP5モデム。
V24bisか、はたまたMNP5か、転送プロトコルなんつう用語も、当時19歳の私は覚えたもんだ。
PC-9801シリーズは仕様上シリアルポートの転送速度に制限があったが、私が持っていたPC-286VEは19200bpsを楽勝で転送できる仕様だった。
んなわけで、MNP5モデムの恩恵をしっかり受けて当時のNIFTY-SERVEを使っていた。
電話線を部屋に引っ張り込むことが出来なかったので、「音響カプラ」を「コードレスホン」に接続して使ってました。
音響カプラ
でも、ノイズのためにまともに使えなかったので、1ヶ月ぐらいしてから、電話線を分岐させ、外壁・屋根伝いで部屋まで引っ張り込んで、親からは「何か不気味なことをやっている」と思われたなぁ。
買ったカプラは、確かジャストシステムの製品だったんじゃないだろうか。
今も、当時モデムに付属していた入会申込書で申し込んだNIFTYのIDを使っている。
当時はまだアクセスポイントが各市町村全体にいきわたっていなくて、毎月の「アクセスポント情報」をわくわくしながら確認していた日々をおもいだす。平塚市のアクセスポイントは速度が遅く、隣接の横浜アクセスポイントの方が早いからって、そっちを使ったりしてた。
そのとき、DDIを使えば電話料金がNTTの半額になるからって、わざわざDDI契約して横浜に接続してたってこともある。
やっと開設された市内料金エリアのアクセスポイントも、時間帯や曜日によってはBusyなんてことは頻繁に。
仕方がないから、地元の「草の根ネット」にアクセスすると、
「あ、ごめん。あの時間、私がチャットで占領してました」
なんて人がいたり・・・。1990年頃か。
アクセスポント別速度比較なんてのが雑誌に掲載されていたりしたっけ。
Y-Modem,X-Modemとかも使ったなぁ。
NiftyがJUNETと接続したのはいつ頃だろうか。
他大学の人とメール交換できた時は、「すげぇな。」と素直に感動した。
当時まだ「FreeBSD」が出回りつつある頃で、メディアもFDしか普通には持っていない時代だったから、NIFTYのフォーラムで回覧なんてこともやってた人がいたなぁ。
就職してからも、インターネットが普及する95年頃までは、
「メーカーの公式ダウンロード、公式フォーラム」
はNifty上にあることが大半で、パッチやドライバをダウンロードするために会社でIDを取得したり、色々やってたものです。
暇なときはCBシミュレータ(今で言う、チャット)で暇つぶししたり。
WTERMで読み書きマクロを駆使して「3分10円の範囲で、いかに多くのフォーラムをまわり、いかに必要な書き込みを行い、ファイルのダウンロードをするか」なんてことに挑戦してたのもあの頃か。
インターネットが広まりだした頃(1993年頃かなぁ)、
「モザイクっていうので、インターネットが見られるんだよ。」
などと、今となっては恥ずかしい言葉を使って、NTTのページなんかで更新情報を見てたのもあの頃でした。
終わりですか。パソコン通信。というか、よくここまでしっかりとサービスを継続してたってもんです。
お疲れ様、NIFTY-SERVE。
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