2007.01.10

OS/2 終了のお知らせ

日本IBMが、昨年12/31をもってOS/2に関するすべての活動を終了。

 そうか。終わったか。
 業務端末なんかで、NTが出てくるまでは結構使われていたんだが。

 そうかぁ、終わったかぁ。しみじみ。

Photo

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2006.11.12

ついにアステルPHS停波へ

 アステル系PHS事業者として唯一事業を継続していた東北インテリジェント通信が、ついに停波の告知。

「アステルPHS電話サービス」の終了について

Tohokuphs

 長かったのか短かかったのか。

 アステルは「着メロ」の商標を持っているなど、現在携帯電話で基本となったサービスを開発してきた事業者のひとつ。

 JR系、電力会社系各社が出資した「寄り合い所帯」であったことから、サービスは混迷。

 経営判断の誤りが、着実に事業を失敗へと導く例かも。

 さようなら、アステル系PHS事業者。

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2006.11.09

東急ハンズ藤沢店 閉店へ

 東急ハンズの一号店である藤沢店が、2006年12月31日で閉店です。

藤沢店閉店のご案内

Handsheitenn

 藤沢駅前は、丸井がビックカメラになったり、西武が閉店したりと変化が続いています。

 藤沢の東急ハンズは店舗面積は他店より狭いものの、実家茅ヶ崎在住時代は大学に通うついでに立ち寄ったり、デートで散歩がてら立ち寄ったりとよく行ったものです。

 なくなっちゃうのか。

 さびしいな。

 地下のゲームセンターにあったプリクラで、結婚式の二次会用写真を妻と撮影したことを思い出す。

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2006.03.31

ついに”パソ通”NIFTYが終了

 ついに今日サービス終了だそうだ。

Niftylast


 初めて買ったAIWAの2400MNP5モデム。
 V24bisか、はたまたMNP5か、転送プロトコルなんつう用語も、当時19歳の私は覚えたもんだ。

 PC-9801シリーズは仕様上シリアルポートの転送速度に制限があったが、私が持っていたPC-286VEは19200bpsを楽勝で転送できる仕様だった。
 んなわけで、MNP5モデムの恩恵をしっかり受けて当時のNIFTY-SERVEを使っていた。

 電話線を部屋に引っ張り込むことが出来なかったので、「音響カプラ」を「コードレスホン」に接続して使ってました。
音響カプラ

 でも、ノイズのためにまともに使えなかったので、1ヶ月ぐらいしてから、電話線を分岐させ、外壁・屋根伝いで部屋まで引っ張り込んで、親からは「何か不気味なことをやっている」と思われたなぁ。

 買ったカプラは、確かジャストシステムの製品だったんじゃないだろうか。

 今も、当時モデムに付属していた入会申込書で申し込んだNIFTYのIDを使っている。

 当時はまだアクセスポイントが各市町村全体にいきわたっていなくて、毎月の「アクセスポント情報」をわくわくしながら確認していた日々をおもいだす。平塚市のアクセスポイントは速度が遅く、隣接の横浜アクセスポイントの方が早いからって、そっちを使ったりしてた。
 そのとき、DDIを使えば電話料金がNTTの半額になるからって、わざわざDDI契約して横浜に接続してたってこともある。
 やっと開設された市内料金エリアのアクセスポイントも、時間帯や曜日によってはBusyなんてことは頻繁に。
 仕方がないから、地元の「草の根ネット」にアクセスすると、
「あ、ごめん。あの時間、私がチャットで占領してました」
なんて人がいたり・・・。1990年頃か。

 アクセスポント別速度比較なんてのが雑誌に掲載されていたりしたっけ。

 Y-Modem,X-Modemとかも使ったなぁ。

 NiftyがJUNETと接続したのはいつ頃だろうか。
 他大学の人とメール交換できた時は、「すげぇな。」と素直に感動した。

 当時まだ「FreeBSD」が出回りつつある頃で、メディアもFDしか普通には持っていない時代だったから、NIFTYのフォーラムで回覧なんてこともやってた人がいたなぁ。

 就職してからも、インターネットが普及する95年頃までは、
「メーカーの公式ダウンロード、公式フォーラム」
はNifty上にあることが大半で、パッチやドライバをダウンロードするために会社でIDを取得したり、色々やってたものです。

 暇なときはCBシミュレータ(今で言う、チャット)で暇つぶししたり。

 WTERMで読み書きマクロを駆使して「3分10円の範囲で、いかに多くのフォーラムをまわり、いかに必要な書き込みを行い、ファイルのダウンロードをするか」なんてことに挑戦してたのもあの頃か。

 インターネットが広まりだした頃(1993年頃かなぁ)、
「モザイクっていうので、インターネットが見られるんだよ。」
などと、今となっては恥ずかしい言葉を使って、NTTのページなんかで更新情報を見てたのもあの頃でした。

 終わりですか。パソコン通信。というか、よくここまでしっかりとサービスを継続してたってもんです。

 お疲れ様、NIFTY-SERVE。

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2006.03.17

さよなら緑とオレンジの湘南電車

 実家が茅ケ崎なもので、東海道線はなじみのある電車だ。

 その昔、父の転勤のために茅ケ崎を去る日を思い出す。
 小田原からの新幹線に乗るため、茅ケ崎駅で下り電車を待つ。

 ホームに入ってくる緑とオレンジの湘南電車。
 子供心に、
「もう、見られなくなっちゃうんだろうなぁ。」
なんて感傷的に車両を眺めていました。

 ホームに入ってきた車両が徐々にスピードを落とし、止まる。

 そして乗り込む。
 ドアは閉まり、発車。

 風景を焼き付けようと、まだ木造平屋だった茅ケ崎駅舎と相模線ホームをじっと見つめる。

 だんだんと見えなくなっていく。窓に顔をくっつけて、なんとか駅の風景を見ようとした8歳の夏。

 そんな思い出のある緑とオレンジの東海道線。
 さようなら。

shonandensha

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2006.01.31

ついにドコモPHS終了のお知らせ

 ついに、NTTドコモから「PHSサービスに関するお知らせ」と題するニュースリリースが出ました。

phs-dokomo


 終了予定日は2007年度第三四半期。(2007年10~12月)

 我が家はまだ
「音が良い」
「安い」
「ぜんぜん不便な思いをしていない」
ということで、家族が利用しています。

 さらに、我が家の固定電話用の子機に、PHSを2台使っています。
 盗聴の恐れもないし、音もクリア。いやー、いいインフラだったのになー。

 開業日からパルディオ101Nを使っていた私としては、ちょっと寂しい。
(ちなみに、仕事上連絡がつかないとやばいので現在はau)

 「あ!あそこの電柱にPHSのアンテナが立っている!」

 「いよいい、PIAFSっていうデータ通信の規格が策定されるぞ」

 「えっ!64Kbpsの速度も出るの?!」

 「全国の公衆電話に、PHSのアンテナを設置するんだって?!」

 「コンパクトフラッシュType-II型のPHSカードが出た!」

 「電波が届かないけど、ホームアンテナを使えば家の中でも使えるんだとさ」

 「コンパクトフラッシュのインタフェースが付いた電話機も出たぞ!」

 「メールもWebも見られる機種がでたの?タッキーがCM?!」

 ちょっと思い出すだけで、色々浮かんできますなぁ。

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2006.01.29

コニカミノルタ カメラ・フォト事業の終了へ

 仕事が終わって、なにげなくIR情報を見ていたら、以下のリリース情報。

カメラ事業、フォト事業の終了と今後の計画について
konika

 写真、レンズ技術ではカメラ市場を勝負できなくなり、すっぱりと切り離しを表明。

 伝統ある事業を切り離す覚悟を決めた経営陣の決断にエールを送りたい。

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転送メールサービス「anet.ne.jp」サービス終了

 数日前、infoseekから「転送メールサービス」に関するアンケート調査が来た。

 7,8年前から利用している「anet.ne.jp」という転送メールサービスを有料化しても利用するか、その他の無料メールサービスを利用しているか、などの質問が並んでいた。

 「こりゃぁ、サービス停止を考えているだろう。」

と思っていたら、予想通りサービス終了の案内となった。

 インターネットが本格普及し始めた時、「メールアドレスのポータビリティー」という点に魅力を感じ、登録して利用していた人は少なくないはず。

 そのサービスが終了することとなった。2006年6月。

anet

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2005.12.09

秋葉原の交通博物館が閉鎖

 秋葉原のはずれにある、万世橋の交通博物館が閉館になるそうです。

 時代の流れですねぇ。

 あそこで「これが新型新幹線なんだなぁ」なんて見た覚えがあります。

 薄暗い博物館に、昭和の香りいっぱい。
 2006年の5月までなので、子供をつれて行ってみようっと。

http://www.jreast.co.jp/press/2005_2/20051203.pdf

kotsu

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2005.11.12

ピーター・ドラッカー氏死去

peter


 経営学の父、ピーター・ドラッカー氏が死去。

PETER F. DRUCKER PASSES AWAY』 クレアモント大学の発表

 著書はよみきれていないから、まだまだ勉強させてください!

 社員はコストではなく資源。人材。

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